うんちく王も遠くになりにけり

ネット上で調べごとをしていたら、ある雑学本の著者の
ページにたまたまたどり着いた。
比較的売れている本を出しており、またごく一部では、その本は
人気タレントの知識源になっているということでも知られているらしい。


しかしこの人、何を考えているんだろうと思った。
タレントがその雑学を多用していることにたいそう不快感を感じられたのか、
しつこいぐらいに「格好悪い」という言葉を使いまくっている。
実は前にもこのページを見たことがあり、その時にも思ったのだが、
じゃあアンタは何で本を出したんだ、と。


確かに、自分の知ったネタを教えた相手が、
さも自力で得た知識なのかのように振る舞われるといい気はしないのは当然。
しかしこの人、「ネット」「出版」という行為によって、
不特定多数の人間に対して広めてしまっている。
そして上記のような行為に対して不快感を示すというのは、
はっきり言って理解しがたい。
実際、件のタレントはこれを多用していたのは事実だ(と言える)が、
雑学ネタが詰まったこの本を一種の「辞典」として扱い、
それを出典とし、ネタを引っ張り出すことは決して不自然ではないだろう。
たとえそれが一冊がもとであっても、である。
(ちなみに、この人が出典にしていたのはこの一冊だけではない。
 著者は自分のネタばかりを指摘しているが、
 他のネタやこの本が出る前のネタもほとんどが雑学本をもとにしている。) 


そして、私の根本的な疑問だが、「雑学本」という名目で売っておいて、
他の人には偉そうにひけらかすな、とでもこの人は言いたいのだろうか。
じゃあコレを読んで得た知識はどうすればいいんだ、と。
一人でコッソリ楽しんでろとでも言いたいのだろうか。


それに今、本に限らずちょっとネット検索をかければ
(ウソも含めて)膨大な情報を簡単に得られる時代である。
つまり、自分の知識の出典が高確率で見つかり、また高確率でかぶってしまうのである。
そんな中で、こうした不快感が当たり前になっては、
ちょっとでも知識をひけらかしたら、すぐに「パクリ」と言われてしまうだろう。
本人の意思とは無関係でも。


ちょっと長くなってしまったが、
「知識」は「創作物」ではない、ということを強く言いたい。
最近、女性アイドルの盗作が話題となっているが、
それはもとが「創作物」であり、唯一無二の出典だからなのである。
「知識」の出典は、決して一つではない。無限大である。
ネットや出版などでその「知識」を日本中、世界中に発信しているのなら、
世に出した時点で確実に自分のものではなくなっている、それぐらいの覚悟をしてほしい。


ぶっちゃけると、知識は「パクってなんぼ、パクられてなんぼ」だ。