問題読みについて

また久々の更新です。


先日、インターネットの麻雀専門番組配信チャンネル「スリアロチャンネル」にて、
新番組「クイズ!スロアログランプリ」のお手伝いをしてきました。


その中で、問題読み上げという大事なお仕事をさせていただきました。


よろしければ現在、YOUTUBEで過去動画として上がっているので
↓是非ご覧下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=bG31zzZwt3o


放送後、多くの麻雀関係の方に
「問題読みがとても良かったです」
と言われました。大変有りがたい限りです。


一応こう見えてボイストレーニングの経験があり、地声も大きいので
「はっきり明瞭に読み上げる」
「問題文の意味を理解して読み上げる」
ことだけを心がけました。
これだけで十分、聴く人には伝わるはずですから。


クイズ界隈で読み方の技巧に走り、「問題文を伝える」ということを忘れている人、いませんでしょうか。
他人の読み方をマネする前に、そこから始めるべきですよ。
もとになっている人も、技巧ではなく「伝える」ためのことをしてきたんですから。

早押王をお手伝い

すごく久々にクイズの場へ。
22日にあった「新人王/早押王」の裏方をしてきました。


かつてテレビで活躍されたレジェンドの方が久々のクイズで上位に勝ち残られたり、
場内が騒然とするようなファンタジスタぶりを見せつけられたり、
力のぶつかり合いが産む劇的な幕切れが見られたりと、
たいへん見応えのある勝負が繰り広げられました。


多くの方が最も驚いたのはコレでしょう。
「アナログ時計で…」ピンポーン(え?何だろう?)「6!」ピンポンピンポン!(!!!!!)
この瞬間、場内が明らかに騒然としていました。


恐らくこの部分で早押しをして、当てずっぽうで「6」を言える人はいません。
「アナログ時計で」の文章でかなりの限定ができているので、
ある程度の絞り込みをした上でこれまでの問題傾向や答え甲斐の有無などから
最も可能性が高いものを選んだのかと思われます。


僕はここに、クイズで「勝負」をしている人間の一端を垣間見れたような気がしました。
ただの山勘ではない、色々な裏付けがあっての最善の選択ができていること、
これを見れただけでも本当に嬉しかったです。


終了後、少しだけ挨拶をする時間がありました。
ちょうどその直前にI君のしていた挨拶の内容が、休憩中に私と話していたことでもあったので、
嬉しくなってつい口に出た、というところはありますが…


私は高校時代、出身高校にクイズ研究会がありませんでした。
やがて社会人サークルでお世話になり、大学生や大人の方々と一緒にクイズをさせてもらうようになりましたが、
こうした先輩がたと一緒に何かをするという経験は本当に大きなものでした。


ここ一年は麻雀漬けですが、あるトッププロの方からこんな言葉が聞けました。
「50代60代のすごく強い人と打つことって、とても意義があるんですよ」
何がどうのとは言いにくいですが、若い自分にはないものを感じ取れるのは大きなプラスなんだと思います。


また、かつてよく行っていた焼鳥屋のマスターは私の父より年上なのですが、
この方から学ぶことは本当にたくさんありました。
長い年月を経てきた人には、どうあがいても敵わないものがあります。


そんな経験があり、「大先輩と接することには大きな意味がある」とずっと思っていました。
それが「若い方々、自分よりずっと年上の方と一緒にクイズする機会があったら積極的に参加してみて下さい」という言葉に繋がったんだと思います。


年上でしかもクイズの強い人だと、萎縮したり勝負にならないことを恐れたりしかねないでしょう。
しかし、それ以上にこの人達から吸収できることは沢山あると思います。
若い方は是非、遠慮せずにベテランの方とクイズ(だけじゃなく色々なこと)をしてほしいなと、常々感じているのです。

競技者になりたかった

久々に書いてみます。

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、私、3月から
最高位戦日本プロ麻雀協会」に所属する競技麻雀のプロになりました。
現在は一番下のC3リーグで上を目指して頑張っております。

もう若くない36歳で、何故麻雀プロになろうかと思ったのか。

「競技者」になりたかった、のかもしれません。

自分はギャンブルなども好きですが、お金を得る事よりも
「勝負に勝つ」ことに執着していることを最近感じていました。
趣味の一環であるクイズでもそうで、とにかく勝ち負けを意識してプレイしています。

2012年の2月、初めて秋葉原競技麻雀サロン「雀友倶楽部」に行きました。
そこで経験した麻雀はとても刺激的で、決して腕前に自信があったわけではありませんが
「競技者としてこの世界に飛び込んでみたい」という思いが強くなりプロテストを受験、
そして現在に至っております。

C3のリーグ戦は1節が(基本的に)同じメンバーで4半荘、これを5節まで行います。
昇級・降級は合計スコアで決定。
常に対戦相手の戦法や得点による関係、自分自身の手の入り方などでどう戦うのが最良なのか
毎日模索し続けています。

そして本番では万全を尽くすために、体調や考え方などを整えています。
「競技」という世界で生き残ってやろうと必死ですが、とても楽しいです。


最近、ツイッターで私が「競技クイズを語る人は本当に『競技』をしているのか?」という旨のコメントをしています。
それについて、考えをまとめておきます。

ウサイン・ボルトは五輪男子100m走で、1次予選から世界記録を出しますか?」

ボルトは紛れもない競技者です。彼は競技者として、最高の結果を出すために100m走の1次予選から決勝までを組み立てます。
他のアスリートも同じことでしょう。最初から全力だと結果は出せません。

「競技」を語るなら、最高の結果を残すために何を積み重ねるか。
そして当日、どうすれば自分の能力を引き出せるのか。

声高に「競技クイズ」を語っている人の多くは、本当にそこを考えているのでしょうか。

十分な睡眠時間を取らないで、早押しクイズでコンマゼロ1秒の勝負を制することはできますか?
かってに「易しい問題しか出ない」と判断し、知らない問題が飛んできて対応できますか?
問題数の多い筆記クイズで時間配分をきちんとせずに解いていませんか?
タイムレース終盤で勝ち目がないのに無茶押しの誤答を繰り返していませんか?

最終的な勝利へ向けて、勝負の全体を見ることが「競技をする」ってことなんじゃないでしょうか?

大きなタイトルを取った人は、おしなべてそれが出来ています。
簡単にできることではないかもしれません。
しかしそれをせず、自分の好きなクイズだけを追いかけて「競技」を語るのは違うんですよ。

私は本来、クイズの中に線引きをすることが大嫌いです。
でも「競技クイズ」というものは、それ自体が何であるかというのが定かではないのですが、
大人数の中で頂点に立つ者を決めるものとして存在すべきだと思っています。
しかし「頂点に立つ」ということではなく「こういうクイズでナンバーワンを決める」になっていないでしょうか?
そうした個人の定義が、100%当てはまることはまずありません。
あなたの都合でクイズができているわけではないですからね。


思うことはまだまだたくさんありますがひとまず。
気が向いたらまた書くかもしれません。

自分をもっと疑う

慌ただしくてしばしお休みしましたが、
またクイズ大会をすることとはなんぞや、について書きます。


「こういうことをやりたい」
クイズ大会のはじまりは、まずはここです。
いろいろなものを少しずつ積み重ね、大きな形になるものも、
最初は思いつきだったりします。


ただ、思いつきって実は大したことないんですよね。
ほとんどの場合は独りよがりで、しかもボロだらけ。
それでも「これが面白い!」「斬新!」などと言い張るのは滑稽です。


新しいことをやろうとするのを妨げるのは良くないことです。
しかし、何でも「新しい」で片付けられるほど甘くありません。
それのどこが面白いのか。
お客様はどこを魅力に感じてくれるのか。
失敗する恐れはないのか。
これを、若い方もそうでない方も、きちんと考えていない人が多すぎます。


ただ、考えた上での結論は、出す必要がないです。
もっと真剣に、もっと突き詰めて考えてほしいのです。
軽々しい気持ちでやったのか否かは、見ればわかります。
本当に一生懸命考えたのなら、お客様も共感してくれるはずですよ。

続・オープン大会の定義

私は地元の北海道時代、オープン大会を銘打ったイベントを2つ主催しました。
このときに声高に言っていたことが一つあります。


「道外から参加者がこなけりゃオープン大会じゃない」


当時から既に札幌にはオールカマーなサークルがありましたし、
そこでの例会もいってみれば小規模な大会。


これを大きくしたものがオープン大会、というのは流石に違うよなと思いました。
そのためには例会ではないイベントであることが大切なのですが、
同時に道外の人に興味を持ってもらわないといけません。
いつもと同じ面子にしないこと、これも大会には欠かせない要素だと思います。


道外に伝手はないわけではありませんが、決して強くもありません。
もともと、積極的に外に出ていたとはいえ、ネームバリューもありません。


それでも、道外での宣伝活動は怠りませんでした。
東京の大会に出る人に頼んでビラ配りもしてもらいました。
その甲斐あり、東北・関東から来て下さった方がいました。
私と初対面の高校生や大学生も居ました。
本当に嬉しかったです。


「座っているだけでは客は来ない」
当時、私の先輩格であるイベント主催者から言われた言葉です。
これはいまでも、私にとって大切な言葉の一つです。

オープン大会の定義

クイズ研究会方面界隈で言う「オープン大会」。
大々的に告知を打てば「オープン大会」である、と捉えている方が多いでしょう。


もちろん人それぞれでいいと思うのですが、わたしはこう捉えています。
「知らない人が来ても良いように作ったのがオープン大会だ」と。


知り合い達に喜んでもらおうとしたものは「大会」ではないと思います。
知り合いではない人達にも喜んでもらおうと努力することで「大会」と言えるでしょう。


どうでしょうか。
「知り合いのためにやっている」人は多くないですか?
そうじゃない人に自分のすることを受け入れてもらうための努力と覚悟はしていますか?


エントリーを集めて、知らない名前が多いのを見て、不安がる人を何人か見たことがあります。
でも、それは当人の覚悟ができていない、ということですよね。


私はイベント運営時、全ての参加者と等距離にあるべきとして努力しました。
そのおかげで、他のイベントでは見ない方、私とは縁の無かった方などが
常連として参加して下さったと記憶しています。


仲の良い人を軽視するわけではありません。
しかし、外に向かないで「オープン大会」というのは、言葉としてもおかしいですよね。

「させてあげる」ではなく「してもらう」

「参加者にたくさんクイズをさせてあげたい」
これは、結構多くのクイズイベント運営者が言っているのではないでしょうか。


一見正しいように見えますが、私には引っかかる、というか我慢できない部分があります。


「させてあげたい」です。


クイズをする場を提供する、ということでしょう。
しかしこの言葉、私には客に対しての「上から目線」に見て取れます。
「させてあげたい」は、結局「させる」と同じです。


「参加者にクイズをしてもらいたい」でなければいけない、と私は思っています。
私の実施したイベントは、実際ルールによる敷居の高さがあることは否めませんが、
「クイズをしてもらう」ための注意は十分に払ってきたつもりです。


どこがどうなの?と言われると、明確な回答が上手く出せない難しさがあります。
ただ、「させてあげよう」というスタンスと、「してもらおう」というスタンスでは、
出てくる態度が同じになるとは思えません。


もし、参加してくださるお客様に対して「色々なところでずっとクイズを楽しんでください」と
思う気持ちがあるのならば、
「してもらおう」という考え方でなければいけないと思うのですが、どうでしょうか。


全てのイベントがこうあるべき、とは言い切れません。
ただ、冒頭に書いたような志を持っているならば、「させてあげる」のは正しく無いと思います。