無邪気は凶器

中学時代、毎週土曜日に必ず聴いていたラジオ番組がある
昼間のワイド放送で、おそらく当時の私の年代が聞くような番組ではないが、
地方ラジオ局に特有の電話などでリスナーが意見を寄せられるコーナーもあり、
また番組の最後にはいわゆるリレー川柳のコーナーがあった
(五七五の上五文字がお題として出され、それに続く句を投稿。最優秀作の下五文字が翌週のお題になった)。
とうじ、この投稿を熱心に行い、後にハガキ職人になる私を形作ったとも言える。
(もっとも、対象が私の層ではない番組なので、そのために色々ゆがんだ自分も作られたが)


で、この番組では中坊の存在はいま思えば珍しく、
結構可愛がっていただいていたような気がする。
ミーハーな私はスタジオ見学をお願いし、OKをいただき
何回か見させていただいたこともあった
(これが後に、放送の世界を志す土台なった(成功はしてないが))。


その番組パーソナリティーは、千家和也さんという作詞家である。
お恥ずかしい話、私はこの先生の業績を余り存じ上げていなかった。
のちに様々なヒット曲を手がけていらっしゃることを知るわけだが、
それがいかに偉大であるか、を知るには、番組が終わって何年も時間がかかった。


ミーハーで無邪気(という言葉が適するかと思うが)な
中坊だった自分を振り返ると、
なんとすばらしい先生にいくらものを知らぬガキとは言え、
失礼なことをしていたのか、と思うと正直恥ずかしい。
たまにこの時期を思い出すことがあるが、
本当に「穴があったら入りたい」気分に強く駆られる。
もし、運良くもう一度お会いできる機会があったら、
額に傷ができるほど土下座をしたい、そんな気持ちである。


ただ、この時期の自分があったから、いまの自分もある、というのも確か。
普通の勤め人はもうちょっと難しそうだが、
全然違う世界に飛び込むことができたのはこの時期が影響しているはずだ。