何もしてあげられなかったけれど

23日夜、私の父方の祖母が亡くなり、
(ちなみに下の日記を書いている最中に報せがありました)
先ほどまで実家の札幌に帰っていました。


私が上京する直前ぐらいから認知症が進んでおり、
結局は父と母が、ずっと介護にあたっていました。
まる5年ぐらいでしょうか。
その間、ほとんど私は何もできませんでした。


特に父にとって、この苦労や辛さはかなりのものだったと思います。
祖母は明治生まれ、父は戦前の生まれであり、
戦中・戦後には考えられないような苦労をしてきました。
(私の祖父や父の兄弟4人がこの間に亡くなっています)
そんな話を教えてもらったのは、私が大学生になってからで、
それまでの祖母からはとてもそんなことが想像できず、
衝撃を受けたことを良く覚えています。


そんな中、祖母と長く生活をともにしていた父にとって、
辛くないわけはありません。
現に祖母の認知症が進み出したころ、
今までには見たことがないような落ち着きの無さを示し、
正直、相当な不安がありました。



葬儀の席、喪主である父はとても気丈に振る舞っていました。
棺の中の祖母は、本当に小さくなっていました。
父はそんな祖母に「ご苦労様」とでも言いたげに語りかけ、
見送っていきました。


5年間、私は祖母のために、何もしてあげられませんでした。
その間、父がどれほどの苦労をしていたか、
私には語る権利などありません。
ただ、祖母のために精一杯のことをした、ということはよく分かりました。
「婆さんは一生懸命に生きたんだ。喜んで送りだしてあげよう」
父はそう言っていました。
祖母のために十分なことをしていなかったら、絶対にこんな事は言えません。



元気だったうちに、祖母のために何かをしてあげたかった。
いまでもそう思っています。
思ったところで何もできない、ということもわかっています。
私にできた唯一のことは、父の言うとおり
「喜んで送り出してあげる」ことだけでした。


…もっとも、婆さんが亡くなった翌日から腰痛を起こし、
実家でもロクに動けなかったためかえって迷惑がられてしまいましたが。
(伯父が亡くなったときも直後に風邪をひいて寝込んでいたこともあり、
親戚一同から「使えない」というレッテルを貼られる始末)