思い出したように

よく考えたら、自分のパチンコ遍歴に関して何も書いたことがなかった。
ちょっと書いてみます、無駄長文ですがご容赦を。

・浪人時代
ちょこっと手は出していた。「アミダロード」が懐かしい。
・大1
札幌駅前「ラッキーホール」(もうありません)のハネモノ「スクランブルジェット」でちまちま。
このホールで某誌のプロの方と出会う。
時折、3回権利モノ「プリティーハート」に手を出す。
また、夏には自分の中でダントツの名作「アクダマンSP」に出会う。
7万投資→15万回収といった荒業が懐かしい。
・大2
インターネットと草の根パソ通を始め、多くの人と知りあうようになる。
今思えば現在の自分は完全にここが原点だ。
この頃は札幌のいろいろなプロと面識を持つようになった時期。
・大3・大4
バイトしながら大学に行きつつ、合間に新台入れ替えに並ぶ日々。
この「どれにも中途半端」な生き方は明らかに失敗。
またこの時期だったと思うが、関東在住の知人のパチプロが札幌の状況を聞いた次の日に飛んできて、
そのまま3年ほど住み続けた。この行動力にはかなわない。
・プー
大2のときに知りあったライターさんのお手伝いをメールでしながらパチンコ。
家に金を毎月入れつつ、なんとか目標の貯金額に達したので上京を決意。
・上京後
すぐに貧乏になるが、何とか乗り切る。
そしてパチスロにストック期花盛りの時代が到来、
一時期はだいぶ楽に稼がせてもらった。
・今
「パチプロになろう」なんて思わなかったことだけでも救い。

で、こうして振り返るといろいろなパチプロと出会った。
札幌時代はハネモノで出会ったプロ(人生の先輩)、新台入れ替えで出会ったプロ(ハッタリ屋)、ネット上で知り合った女性プロ(会って最初に「あたし年下だめなのよ」と言い放った7歳上のお姉様)、自分と同年代の女性プロ(なぜかお互いに嫌いなやつの名前が一致。それぞれ違う領域で嫌いになった相手だが)などなど。

東京に来てからも出会ったパチプロはいっぱいいる。
女性プロで彼氏の家から追い出され、しばらくうちに泊めてあげた子もいた(特段何もなかったけど)。

ただ、いまはパチンコを打つことに関してはほぼ完全に一人。
この人たちがいま何をしているのかさっぱりわからない。

そんなことを思い出して懐かしんでしまった。
みんな元気かなあ。