また声を大にして言いたい

為政者が自分の思想を言うのはかまわない。
それも政治の内だから。


ただ、災害を利用して自分の思想を正当化するのはいかがなものか。
それってインチキ商法と何がどう違うのか。


そんなことを言い放つ奴が、災害のことを本気で考えているのか。
どう考えても自分の思想が先なんじゃないのか。


向こう半月、しっかりと脳内に刻んでおきたい。

声を大にして言いたい

著名人が義援金を出したというニュースに
「○○は稼いでいるんだから出さないのか」
「○○は稼いでいるクセに額面が少ない」
とか言っている人がいる。


タカリと何ら変わりない。


その人が実際に手元にいくらあるのかなんて知らないだろう。
また、寄付をしていながらそのことが公表されていない人もいる
サンドウィッチマン・富沢さんのブログにそのことが書かれています)。


額面が二の次、ということではない。
寄付を寄せることそのものに意義があるはずだ。


……というわけではやくみずほが機能回復してくれないか。寄付ができない。

「どっちが正しい」ではない

あるテレビ局のアナウンサーがとんでもない失言を放ったと
ネット上で大騒ぎになっている。


しかし、「彼女がそう言っていた放送を見ていた」というものは
私には見あたらなかった。


逆に「そのような発言はあったが別の女性記者では」というものがあった。


マスメディア系以外のネットニュースでは、このことは全然聞かれない。


以前、サッカーW杯を取り上げた番組や、あるコンビ芸人のラジオで番組で
実際には言われていなかった発言がなぜかネット上で事実として流布したことがあった。


これでも根拠がないインターネットの発言を信用できるのか。
マスメディアなんかよりインターネットの方がましだといえるのか。


大事なのは「どちらが正しい」ではなく、「信憑性を確かめる」ことだろう。
それはどんな媒体だろうと変わらない。


もっと冷静になって情報に接しよう。こういうときだからこそ。

読んでいる人が何人いるかわかりませんが

幸いに昨日の地震ではけがや物損などに見舞われることもなく無事でした。
確定申告の件で税理士さんのところに行っていたため、帰宅するのが大変なことになっていましたが…。


神楽坂の道の真ん中で被災しました。
最初は揺れに気づきませんでしたが「あれ、揺れてるぞ」との声を聞き、
上を見上げた際に看板が揺れているのを見て地震を自覚しました。
建物の側に寄っても、電柱に寄っても危ないと判断し、
前後の車がそれなりの距離のところで完全にストップしたのを見て
道の真ん中に出て揺れが治まるのを待ちました。
座り込むまでには行きませんでした。


その後、電話もiモードもつながらないので、ワンセグを立ち上げて情報を確認。
帰宅のため地下鉄に向かいましたが、当然のごとく動かず。
正直、このときは高をくくっているところがありましたが、
(ゲームセンターなどは稼働していましたから)
18時頃に「さすがにこれは自力帰宅か」と腹を決め、徒歩での帰宅を決めました。


途中、タクシーを拾えなかったり(こういうときの「回送」は精神的に堪えます)
バスを数十分待っても来なかったり、
途中の自転車店が大行列になっているところを見たりしながら、
何とか池袋に到着。それ以降はバスで千川→帰宅となりました。


正直言うと歩けるかどうか不安でしたが、
たくさんの人の流れは逆に自分を安心させてくれました。
歩行が困難になるほどの混雑はありませんでしたよ。


当時の東京の状況ですが、
交通機関の麻痺以外は、街はほぼ機能していたといえるでしょう。
帰宅中の人もほとんど冷静でした。
いまもっとも不安なのは、電力不足による停電ですね。
現在も仕事があるため、なかなか寝られないのですが
暖房を弱める・厚着をするなどして対処しています。

思い出したように

よく考えたら、自分のパチンコ遍歴に関して何も書いたことがなかった。
ちょっと書いてみます、無駄長文ですがご容赦を。

・浪人時代
ちょこっと手は出していた。「アミダロード」が懐かしい。
・大1
札幌駅前「ラッキーホール」(もうありません)のハネモノ「スクランブルジェット」でちまちま。
このホールで某誌のプロの方と出会う。
時折、3回権利モノ「プリティーハート」に手を出す。
また、夏には自分の中でダントツの名作「アクダマンSP」に出会う。
7万投資→15万回収といった荒業が懐かしい。
・大2
インターネットと草の根パソ通を始め、多くの人と知りあうようになる。
今思えば現在の自分は完全にここが原点だ。
この頃は札幌のいろいろなプロと面識を持つようになった時期。
・大3・大4
バイトしながら大学に行きつつ、合間に新台入れ替えに並ぶ日々。
この「どれにも中途半端」な生き方は明らかに失敗。
またこの時期だったと思うが、関東在住の知人のパチプロが札幌の状況を聞いた次の日に飛んできて、
そのまま3年ほど住み続けた。この行動力にはかなわない。
・プー
大2のときに知りあったライターさんのお手伝いをメールでしながらパチンコ。
家に金を毎月入れつつ、なんとか目標の貯金額に達したので上京を決意。
・上京後
すぐに貧乏になるが、何とか乗り切る。
そしてパチスロにストック期花盛りの時代が到来、
一時期はだいぶ楽に稼がせてもらった。
・今
「パチプロになろう」なんて思わなかったことだけでも救い。

で、こうして振り返るといろいろなパチプロと出会った。
札幌時代はハネモノで出会ったプロ(人生の先輩)、新台入れ替えで出会ったプロ(ハッタリ屋)、ネット上で知り合った女性プロ(会って最初に「あたし年下だめなのよ」と言い放った7歳上のお姉様)、自分と同年代の女性プロ(なぜかお互いに嫌いなやつの名前が一致。それぞれ違う領域で嫌いになった相手だが)などなど。

東京に来てからも出会ったパチプロはいっぱいいる。
女性プロで彼氏の家から追い出され、しばらくうちに泊めてあげた子もいた(特段何もなかったけど)。

ただ、いまはパチンコを打つことに関してはほぼ完全に一人。
この人たちがいま何をしているのかさっぱりわからない。

そんなことを思い出して懐かしんでしまった。
みんな元気かなあ。

すみません完全放置で

とりあえず生きています。色々と慌ただしいですが。


で、現在企んでいることをいくつか。


・サーバー乗りかえ(メアドの変更などで面倒なんだけど……)
・ノーパソ購入(いいやつを)
・デスクトップパソコン購入(いいやつを)
・屋外WIFI導入
・ブルーレイレコーダー購入(テレビは買った)


……金のかかることばかり。